Profile

プロフィール

【名前】西村 麻奈美
【生年月日】1978年9月17日生
【出身】京都府京都市出身
【血液型】A型
【好きな食べ物】
ステーキ(特に赤身肉)、蕎麦、チョコレート、チーズケーキ、いちご、柑橘(甘平、せとか、デコポン)、ほうじ茶系スィーツ
【好きなこと・もの】
森林浴・散策、神社・お寺巡り、キレイな景色や自然の写真と撮ること、アロマを焚くこと、天然石、日本史、古代史、アクアリウム(自宅に水槽3基あり)、プラネタリウム、スターウォーズ、ゲーム(あつ森、ゼルダの伝説シリーズ、FFシリーズ4、7、8、9、12)
【名前】西村 麻奈美
【生年月日】1978年9月17日生
【出身】京都府京都市出身
【血液型】A型
【好きな食べ物】
ステーキ(特に赤身肉)、蕎麦、チョコレート、チーズケーキ、いちご、柑橘(甘平、せとか、デコポン)、ほうじ茶系スィーツ
【好きなこと・もの】
森林浴・散策、神社・お寺巡り、キレイな景色や自然の写真と撮ること、アロマを焚くこと、天然石、日本史、古代史、アクアリウム(自宅に水槽3基あり)、プラネタリウム、スターウォーズ、ゲーム(あつ森、ゼルダの伝説シリーズ、FFシリーズ4、7、8、9、12)

Story

生まれてから今までの経緯

幼少期

【幼少期】体が弱かった幼少期

体が弱かった幼少期

橋本家の長女として1978年9月17日3280グラムで生まれました。

とても体が虚弱で食も細く、ぜん息もあり両親に大変心配をかける子供でした。幼稚園でも月に1度以上は必ず体調を崩して休んでいました。

ひと月休みなく出席すると連絡帳に皆勤賞の特別な「よくできました」シールを貼ってもらえたのですが、結局1度も貰えること無く卒園しました。とても残念で悲しくて、今でも心残りです。

何とか体を強くするために、と始めた水泳はプールの水が合いませんでした。アレルギーとぜん息ともに悪化してしまい、以前より病院へ行く頻度が多くなったのでやむなく水泳は諦めました。

そんな状況で、体は弱かったのですが、走り回る事、鉄棒やジャングルジムなど、動きまわって体を動かすことが大好きでした。

妹が生まれたと時、生後間もない妹に周りの大人の注目が集まるのがくやしくて、すねてへそを曲げていました。そして、ハンガーストライキを決行。

約1週間、ミルクだけ。どんなに大好きなお菓子や、いい匂いのスープや食欲をそそる食べ物を目の前に置かれても、ミルクに食欲増進の薬を混ぜられても、自分が納得するまで食べずにやり通してしまいました。

このころから頑固な一面がありました。
小・中学生時代

【小・中学生時代】卓球と出会い、虚弱体質・ぜん息も克服

卓球と出会い、虚弱体質・ぜん息も克服

小学1年生の時、集団登校で上級生と登校をするようになました。その上級生が容赦なく速いペースで歩く人で、それについて行くので必死でした。

手をつないでもらっていましたが、学校までほとんど引きずられていった感じです。

毎日道中息も切れるし、しんどいしで泣きそうでした。

ですが、そのおかげで体力がつき、2年生の頃にはあまり風邪をひかなくなったのです。

小学1年生の秋、初めての運動会で見た応援団のチアリーダーの華やかさに感動して、憧れるようになりました。

運動会の期間だけの応援団でしたが、児童の間では大変人気がありました。

どうしてもチアリーダーになりたくて毎年一番に応募していました。でも、応募多数のため、メンバー決めはそんたくなしの勝ち抜きじゃんけん勝負でした。

私はじゃんけんに負け続け、こりずに応募し続け、6年間一度もチアリーダーにはなれずじまいでした。

とても残念な不完全燃焼の思い出です。

私のじゃんけんのさを知ったのと共に「思い通りにならないこともある」という事を学んだ出来事でした。

小学低学年の頃から、父がスターウォーズ好だった影響もあり、繰り返し映画を見てスターウォーズもSFの世界や宇宙、夜空の星を眺める事もとても好きになっていきました。

休日は父に連れられ、近くの科学館や博物館でプラネタリウムを見たりする事が多かったです。
(私は父から情緒的な影響をたくさん受けました。)

そんな中、夏休みにペルセウス座流星群が再接近するという事があり、 肉眼でたくさん流れ星が見られるかもしれないとワクワク。家のベランダに出て一晩中、日が昇り始めて星が見えなくなるまで夢中で夜空を眺めていました。

おかげで、翌朝のラジオ体操はフラフラでしたが、一晩で100個以上の流れ星を見る事ができて、とても感動しました。

縦横無尽に流れてキラキラ一瞬で消えていく流れ星や夜空は本当に美しくて魅了されました。 今でもこの時の事は時々思い出す良い思い出です。

卓球を始める

卓球を始める

小学4年生の時、主治医からぜん息を克服させる為にスポーツを始める事をすすめられました。

「ここで体力をつけないと、一生ぜん息でしんどい事になるよ!」と言われ、一念発起で自宅近くで気軽に始められそうだった卓球を始めました。

卓球を始めて半年くらいで、初めて京都の小さな試合に出ました。

そこで勝てそうで勝てない、負けてしまう事の悔しさを知り、「もっと上手くなって強い選手になりたい!」と本気スイッチが入りました。

そこから卓球場が休みの木曜日以外は、練習に毎日通いつめるようになりました。

それから大学卒業までの間卓球一色のスポ根生活になりました。

気付けば小学6年生の頃には、すっかりぜん息の発作も出なくなり、虚弱な体も強くなっていつの間にか克服する事が出来ました。

中学2年生の頃、一気に身長も伸び体も成長した事から筋力トレーニングを本格的に始める事になりました。

その時に、体を鍛える事と同じように怪我や故障を起さないように体をケアする大切さをコーチから教わり、練習・トレーニングの傍らスポーツ整体へ定期的に通うようになりました。

結果的に、私の選手生活において大きな怪我や故障をする事なく過ごせたのは、コーチの教えのおかげだと思っています。

試合に出た時の私はここぞという時に緊張で体が硬くなって、自分に負けてしまうメンタルの弱い所がありました。

メンタル強化のため、と言われて読んでいた宮本武蔵著の「五輪の書」や戦国武将の本の影響もあり、歴史や日本文化など「和」のものが好きになりました。

中学3年生の頃、京都では3位以内に入る卓球選手になっていました。

「高校でも卓球を続けたい!」、「もっと強い選手になりたい!」という希望もあり、当時の卓球の名門校にスポーツ特待生として入学する事が決まり、とても嬉しかったです。
高校・大学時代

【高校・大学時代】卓球に明け暮れる青春時代

卓球に明け暮れる青春時代

高校では卓球に没入する3年間を過ごしました。今では考えられませんが、休みは年末の大晦日の1日のみ。

試験期間中でも時短で、お正月も元旦から練習。春・夏・冬休みは試合、強化合宿、遠征でほぼ埋まっていました。卓球で明け暮れる日々でした。

上下関係も厳しく、監督も怖く、入学しての最初の2ヶ月ほどはカルチャーショックを受けて、影で泣いて過ごしました。

夜寝ていても、練習をしている夢を見続けたり、熱を出しても「体調管理が出来ていない、そんな事でどうする」と言われたりもしました。

でもそのおかげで、その後は精神的にも強くなっていきました。

「体力をつけないとハードな練習についていけない。」という思いから、ご飯をたくさん食べるように、無理やりにでも口に押し込むように訓練していきました。

その後、訓練のおかげか、よく食べられるようになりました。子供の頃の食の細さを知る祖父母が私の食べっぷりを見て、ただただ驚いて見ている程でした。

厳しい練習の日々の中でも、日曜日の午後のみが練習が無く、時間がありました。その頃の興味は「食」一色だったので、チームメイトと話題のスイーツを食べまくりました。この時間が最大の楽しみでした。

学生生活では常に卓球優先の日々でした。大きな大会があると学校行事は欠席していました。毎年学園祭の時期が大きな大会と重なっていた為、学園祭の準備だけ手伝って本番は出た事がなかったのです。そこだけ私の中では思い出が抜けていて、少し寂しいなと思っています。

夏のインターハイの時、期間中お世話になったのが、部屋に居ると波の音が聞こえて来るくらい海のすぐそばの旅館でした。

どうしても夏の海へ入りたくて、密かに水着を持って来ていました。誰も示し合わせていませんでしたが、チームメイトのほとんどが水着を持って来ていました。

それを知った監督から「大会の最終日まで勝ち残ったら海に入って良し」と言われたのでいつも以上に気合いが入ったと思います。

結果、私は最終日まで勝ち残りました。

案外、緊張する気持ちがそがれて良かったのかもしれません。

いざ海に入って良し。となると、ずっと毎日練習ばかりでレジャーには慣れていません。水着を着るのが恥ずかしくて、練習ジャージの下に着込んで向かいました。皆同じ格好でした。お互いの姿を見て爆笑。

それでも海に入って、直に水に触れる事はとても新鮮で楽しい事でした。少しの時間でしたが、とても満たされた時間でした。今でも良い思い出の一つです。

その後、日々を頑張ったおかげで卓球の強豪大学へスポーツ推薦という形で進学する事が決まりました。
 
大学1年の春、そのシーズンのランクや成績を決める最重要のリーグ戦で私の勝敗で進退と順位が決まってしまう、という最大のプレッシャーのかかる試合に臨みました。そして、接戦の末に惜負けしてしまいました。

そこからしばらくの間、レギュラーを外されるという挫折を経験しました。

レギュラーに復帰するまではとても辛くしんどい時間を過ごし、それに向き合う日々を過ごしました。

高校時代と違って、私に求められる役割やポジションが変わりました。大きな勝敗の責任のかかるポジションになったのです。

大学対抗の団体戦においてチームが余裕で勝っていれば試合が回ってきません。大接戦になれば最後は私の勝敗で学校の運命が変わります。何とか、期待に応えようと奮闘しました。

大学では少し時間に余裕が出来たので、チームメイトと海やバーベキューに行ったり、キャンパスライフを楽しむことも出来ました。

全日本大会、インターハイ、インターカレッジ、国体へ出場。高校時代は全日本の強化合宿にも参加させてもらう経験をしました。

どれもが貴重で得がたい経験をすることが出来ました。今の私のベースにもなっていると思います。

大人になってから特に感じるようになりましたが、両親の最大限のサポートと応援があってこそ続けられた競技生活でした。
社会人

【社会人】癒しの仕事に出会うまで

癒しの仕事に出会うまで

学生時代は、卓球という一つのことを12年間やり通したので、社会人になってからは30歳くらいまで、自分自身がやりたいと思った仕事は挑戦してみよう、と決めました。私の適正も考えながら、的を絞ってまた1つの事に力を注いでいこう、となんとなく考えていました。

社会人1年目の時、スポーツばかりに没頭した青春時代を過ごしたせいで、自分の世間知らず加減に心の底からがくぜんとしました。

上司や先輩に怒られながら、同期になぐさめてもらいながら、何とか社会人生活に慣れていく事が出来ました。

人材派遣会社の営業、不動産の営業、観光業のテレホンオペレーター、自然派化粧品メーカーでのカウンセリング販売、など今のセラピストになるまでにいろいろな仕事を経験しました。

不動産の営業をしていた時、お客様とお部屋探しを通して親身になって接すること、マニュアルよりも状況に応じてのご要望や、心に添っていく事の大切さを学びました。

一人暮らしが初めての女性の昼だけではなく、夜の駅からの通勤ルートやお部屋の確認に何度も付き添ったり、東京から移住して来て間も無い方の買い物に付き添ったり、新婚さんのお部屋探しの事での喧嘩で双方のお話を聞きに行ったり。他にもいろいろありました。

その結果、お客様から感謝の手紙や、鍵のお渡しの時に花束を頂いたり、契約終了後にお友達になったりする方もいました。

その経験は仕事に対する達成感以上にとても幸せな気持ちになりました。

その経験があって、対企業よりも対個人のお客様に対応する方が私は好きで、私に向いていることに気付きました。
学生時代は、卓球という一つのことを12年間やり通したので、社会人になってからは30歳くらいまで、自分自身がやりたいと思った仕事は挑戦してみよう、と決めました。私の適正も考えながら、的を絞ってまた1つの事に力を注いでいこう、となんとなく考えていました。

社会人1年目の時、スポーツばかりに没頭した青春時代を過ごしたせいで、自分の世間知らず加減に心の底からがくぜんとしました。

上司や先輩に怒られながら、同期になぐさめてもらいながら、何とか社会人生活に慣れていく事が出来ました。

人材派遣会社の営業、不動産の営業、観光業のテレホンオペレーター、自然派化粧品メーカーでのカウンセリング販売、など今のセラピストになるまでにいろいろな仕事を経験しました。

不動産の営業をしていた時、お客様とお部屋探しを通して親身になって接すること、マニュアルよりも状況に応じてのご要望や、心に添っていく事の大切さを学びました。

一人暮らしが初めての女性の昼だけではなく、夜の駅からの通勤ルートやお部屋の確認に何度も付き添ったり、東京から移住して来て間も無い方の買い物に付き添ったり、新婚さんのお部屋探しの事での喧嘩で双方のお話を聞きに行ったり。他にもいろいろありました。

その結果、お客様から感謝の手紙や、鍵のお渡しの時に花束を頂いたり、契約終了後にお友達になったりする方もいました。

その経験は仕事に対する達成感以上にとても幸せな気持ちになりました。

その経験があって、対企業よりも対個人のお客様に対応する方が私は好きで、私に向いていることに気付きました。
セラピスト

【セラピスト】になったきっかけ

セラピストになったきっかけ

私は元々アレルギーがあり、お肌も弱かったというのもあり、自然派のお肌に優しいスキンケアに興味がありました。

普段から情報収集もしていた中で使ってみた洗顔石鹸の効果に感動し、そのままそのメーカーの求人募集に思い切って応募。転職しました。

そこでのカウンセリングや接客を通して、自然派の化粧品の知識、オーガニック、アロマ精油のこと、人体の解剖生理学など、今のセラピストに通じる土台を学びました。このお仕事で店長という立場も経験し、物の見方や考え方などそれまでの自分とは大きく異なる経験をしました。

アロマ精油に出会い、その効果を実感したのもこの頃です。

店長になりたての頃は、毎日不安と緊張の連続でした。

「ゼラニウム」というアロマ精油が緊張や不安状態に効果があると知り、ティッシュに1滴たらして持っていました。

ふと動いた時やしゃがんだ時に一瞬香るその良い香りに癒されて、いつの間にか不安と緊張状態から脱出する事が出来たのです。

この体験がアロマ精油の癒しの力を実感し、興味を深めるきっかけとなりました。
 
勤めていたお店がオーガニック系の化粧品メーカーだったので、

・お肌が敏感な方
・一般的なお化粧品が合わない方
・マシンや人工的に磨き込んだ美しさではない、あくまでも自然にムリのない美しさを作っていきたい方

といった「お肌をきれいにしたい」「自然な健康美を手に入れたい」という思いを抱えた方が多く来られていました。

お客様に接して経験を積む中で、そういった悩みの原因はお肌だけの問題ではなく、

・食生活
・生活習慣
・メンタル、体の疲れや歪み

などが総合的にお肌に影響しているという事にだんだん気付いていきました。

そして表面のお肌だけを見ても本当の原因(食生活や体の疲れ)を解決しない限り、ずっと悩みとの追いかけっこになるな、と感じました。

そう気づいた時に「食生活や生活習慣は自分で改善が出来ても体は難しい。もっと根本的な所の体から悩みに寄り添えないかな。」と思い立ち、思い切って癒しの業界、ボディケアセラピストへと転身したのです。
サロンオープン

【リラクゼーションサロン若葉】をオープン

リラクゼーションサロン若葉をオープン

サロンで勤務していた頃、日々お客様に一生懸命向き合う毎日をすごしていました。

ある時、お客様たちの中にある共通点に気付くようになりました。

それは、日本人の民族性なのか、県民性なのか、日常を「頑張り過ぎている人」が多いという事です。

基本的に皆さま真面目で、楽しい雰囲気で冗談を言っているような方でも、無意識なのか常に体に力が入り過ぎていたり、緊張状態で体が硬くなっていました。

しかも、それが「当たり前」「いつものこと」「どうってことない」と気にせず、通り過ぎてしまっている方が多かったのです。

中には「自分が悪い」「自分が弱いから」などとご自身を責めてしまっている方もいました。

適度な緊張感は必要なこと、と思いますが、度を超えてその状態が続いてしまうと、心や体の不調へ繋がってしまいます。

それぞれお顔や性格が違うように、お疲れの原因や疲れ方のクセもそれぞれ細かく違います。

そういった方々にお体をただ施術するだけではなく、しっかり寄り添って、対応させてもらいたい、と考えるようになりました。

そして、「ケアを通して、何気ない事を幸せに感じられたり、日常を楽しめるように変化していくところまでお手伝いをしたい!」と考え、独立しようと思い至りました。

その想いを実現するため、「リラクゼーションサロン 若葉」をオープンさせました。
Contact

​ご予約・お問合せ

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店名:リラクゼーションサロン 若葉(ワカバ)
住所:京都市北区上賀茂岩ケ垣内町98-11 コーポ大観207
電話:075-600-9212
営業時間:10:00〜19:00
定休日:平日不定休
※施術中はお電話に出られません。LINEもしくはメールにてご連絡を頂けると助かります。
※セールス・勧誘のお電話はかたくお断り致します。
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住所:京都市北区上賀茂岩ケ垣内町98-11 コーポ大観207
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営業時間:10:00〜19:00
定休日:平日不定休
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